オフィスの騒音で集中できないとき、検索して出てくる答えの多くは「サウンドマスキング装置を導入しましょう」という会社単位の話です。ただ、席で困っているのは今日の自分であって、装置の稟議が通るのは早くても数か月先です。
先に結論:無料でできることは5段階ある
オフィスの騒音対策は、①席と体の向きを変える → ②机まわりを物で遮る → ③耳栓などで物理的にふさぐ → ④ノイズキャンセリングで低い音を削る → ⑤環境音で話し声を紛れさせる、の5段階で、すべて0円から始められます。順番が大事で、上から順に試すほど費用も手間も小さく済みます。
そしてもう一つ、ほとんどの記事が曖昧にしている前提があります。「音を消す(遮音)」と「音を紛れさせる(サウンドマスキング)」はまったく別の原理だということです。ここを取り違えると、高いイヤホンを買ったのに隣の席の雑談だけは消えない、という結果になります。まずそこから整理します。
「消す」と「紛れさせる」は別物:遮音とサウンドマスキングの違い
遮音・吸音=届く音のエネルギーそのものを減らす
遮音は壁やパーティション、耳栓のように、音が耳に届く前に物理的に止める考え方です。吸音は天井材やカーペットのように、反射して回り込む音を減らします。どちらも「音量を下げる」方向の対策で、静けさが増える代わりに、下げ切れなかった音はそのまま残ります。
サウンドマスキング=音を足して聞き取れなくする
サウンドマスキングは逆に、意味のない音をあえて足して、会話の内容を聞き取れない状態にする方法です。音量は増えますが、集中を削るのは「音量」ではなく「意味が分かってしまうこと」なので、体感の邪魔は減ります。オフィス向けのマスキング装置は、この原理を空調のような定常音で天井から流しているだけで、原理そのものはイヤホンと環境音でも再現できます。
なぜ話し声だけ特別に邪魔なのか
オープンオフィスの音響を測る国際規格 ISO 3382-3:2022(Acoustics — Measurement of room acoustic parameters — Part 3: Open plan offices)は、残響時間ではなく「話し声が距離とともにどこまで聞き取れるか」を評価軸に置いています。代表的な指標がディストラクション距離(distraction distance)で、音源からの距離のうち音声明瞭度指標 STI が 0.5 を下回るまでの範囲を指します。
この考え方を平たく言うと、近くの話し声は「内容が分かるから邪魔」、遠くの複数人のざわめきは「内容が分からないから、むしろ近くの声を隠してくれる」ということです。音響設計の解説でも、十分に離れた複数人の会話は近くの話し声に対してマスキングとして働くと説明されています(ODEON「Open-plan office acoustics」)。個人ができる対策も、この「意味を奪う」方向で考えると筋が通ります。
なお、音の聞こえ方や集中の度合いには個人差が大きく、ここでの説明は音響上の仕組みの話です。健康への影響や医学的な効果を主張するものではありません。
騒音の種類 × 有効な手の対応表
「オフィスがうるさい」とひとくくりにせず、何の音に困っているのかで手を変えます。自分の席で一番気になっている音の行だけ見てください。
騒音の種類 | 音の性質 | 効きやすい手 | 効きにくい手 |
|---|---|---|---|
隣席の雑談・打ち合わせ | 意味を持つ中〜高域。内容が分かるほど邪魔 | 環境音でのマスキング/席を離す/背を向ける | ノイズキャンセリング単体(声は消えにくい) |
電話の話し声 | 断続的で音量差が大きい。急に始まる | マスキング+パーティション/通話席から離れる | 吸音材だけの対策(発話者が近いと効果が薄い) |
キーボード・マウスのクリック音 | 高域の短い衝撃音。反復する | 耳栓・イヤーピースでの物理遮音/環境音 | ANC(短く高い音は打ち消しにくい) |
空調・サーバー・プロジェクターのファン | 低く一定。常時鳴り続ける | ノイズキャンセリング(最も得意な帯域) | パーティション(回り込むので効きにくい) |
足音・ドア・台車などの生活音 | 不規則な単発音。予測できない | 環境音で底上げして段差を埋める | 静かにするだけの対策(無音だと逆に目立つ) |
オフィス全体の遠いざわめき | 意味が取れない定常音 | そもそも対策不要(マスキング側として働く) | — |
表を眺めると、ノイズキャンセリングと環境音は役割が逆だと分かります。ANC は低く一定の音を削り、環境音は意味のある声を埋める。どちらか一方では片付かないので、実務では両方を同時に使うことになります。
無料でできる5段階(上から順に試す)
① 席と体の向きを変える(0円・今すぐ)
最初にやるのは席の位置です。話し声は距離が離れるほど内容が取れなくなるので、打ち合わせスペース・電話が多い席・通路・複合機から物理的に離れるだけで体感が変わります。フリーアドレスなら明日から席を変えるだけ、固定席でも「午後だけ空いている会議室で作業する」「集中席を週2回だけ使う」といった運用は上長に相談しやすい部類です。
席が動かせない場合は、音源に背を向けるだけでも違います。耳は前方の音のほうが指向性を持って聞き取りやすく、向きを変えると声の明瞭度が落ちます。ディスプレイの向きを90度変える程度でも試す価値があります。
② 机まわりに物で壁を作る(0円〜)
本棚・書類ボックス・大きめのディスプレイなど、すでにあるものを音源との間に置きます。パーティションを買わなくても、耳の高さより上に来る遮蔽物があれば直接届く声は減ります。逆に、耳より低い仕切りはほとんど効きません。ここを知らずに卓上パーティションを買って「変わらなかった」となる人が多いところです。
③ 耳栓・イヤーピースで高い音を落とす(0円〜数百円)
キーボードのカチカチ音や食器の音のような高い音は、実は電子的な仕組みより物理的に耳をふさぐほうが効きます。イヤホンを持っているなら、何も再生せずに装着するだけでも効果があります(パッシブノイズキャンセリング)。手持ちのイヤーピースのサイズを見直して密閉を上げるのも0円でできる改善です。
④ ノイズキャンセリングは「低い音」に使う(持っていれば0円)
ここが誤解の多いところです。ノイズキャンセリングは万能ではありません。ソニーの公式ヘルプガイドには、「ノイズキャンセリング機能は、飛行機・電車・オフィス・エアコンなどの低周波数域の騒音に効果的ですが、人の話す声など、高周波数域の騒音に対しては、ノイズキャンセリング効果が感じられない場合があります」と明記されています(ソニー ヘルプガイド「ノイズキャンセリング効果が得られない」)。
つまり ANC の担当は空調やサーバーのファン音であって、隣の雑談ではありません。ANC をオンにすると空調音が消える分、相対的に話し声だけがくっきり浮かび上がることすらあります。「ノイキャンを買ったのに雑談が気になるようになった」という感想は、仕組みのとおりの現象です。
⑤ 環境音で話し声を紛れさせる(0円)
最後が、個人でできるサウンドマスキングです。ANC で低い音を消したうえで、雨音・川のせせらぎ・扇風機の音・ホワイトノイズなど「意味を持たない音」を小さめの音量で流すと、隣の会話が言葉として立ち上がらなくなります。音量は「会話がかろうじて聞こえるが内容は追えない」あたりが目安で、上げすぎると今度は環境音自体が気になります。
歌詞のある音楽は、それ自体が意味を持つ音なので、文章を書く作業では逆効果になりやすい点に注意してください。歌詞なしの器楽曲か、自然音・ノイズ系が無難です。ノイズ系の種類ごとの違いはホワイトノイズと集中力の関係を科学的根拠から整理した記事とブラウンノイズの集中効果を研究の範囲で正直に検証した記事で詳しく扱っています。
私たちは、この⑤をブラウザだけで完結させるための無料ツールとして「集中時計」を公開しています。記事の途中で恐縮ですが、雨音・川・焚火・扇風機・ホワイトノイズ・ブラウンノイズなどの環境音25種類と、歌詞のない音楽21種類(合計46種類)をインストールもログインも無しで再生でき、全画面にすれば時計とタイマーも兼ねます。よろしければ試してみてください。

自然音そのものの選び方は無料で聴ける自然音・環境音アプリをまとめた記事、広告が入らない作業用BGMの探し方は広告なしで途切れない作業用BGMの型を整理した記事が参考になります。
5段階を試しても駄目だったときの判断軸
ここまでやっても改善しない場合、初めてお金や会社の意思決定が必要になります。判断の順番は次のとおりです。
- 低い音が主因だった → 個人でノイズキャンセリング対応のイヤホン・ヘッドホンを用意する。数千円クラスでも空調音には効きます
- 近くの話し声が主因だった → 席替え・集中席の設置・通話ブースの導入など、レイアウト側の相談に切り替える。個人の装備では限界があります
- フロア全体が反響してうるさい → 吸音材や天井材の話になり、完全に会社マターです。ここで初めてサウンドマスキング装置の検討に入ります
会社に相談するときは「うるさいので何とかしてほしい」ではなく、「どの音が・どの時間帯に・どの作業を妨げているか」を1週間メモしてから持っていくと話が早く進みます。実務で見ていても、音の問題は主観の話になりやすく、記録があるかどうかで結果が変わります。
やりがちな失敗3つ
1. 完全な無音を目指してしまう。無音に近づくほど、残った単発音(ドアの開閉、足音)が相対的に目立ちます。マスキングの発想では、静かにしすぎないほうが快適になる場面があります。
2. 音量を上げて対抗する。騒音に負けないよう音楽を大きくすると、耳の負担が増えるうえ、作業に必要な注意も音楽に持っていかれます。環境音は「うるさくない範囲で最小」が原則です。
3. 原因を切り分けずに道具から買う。対応表のとおり、話し声とファン音では効く手が逆です。まず1日、何の音で集中が切れたかを記録してから道具を選んでください。音以外の要因が混ざっていることも多く、時間帯による集中の落ち込みは午後に眠くて集中できない原因と対策の記事のほうが当てはまる場合があります。
法令上、オフィスの騒音には数値基準が無い
意外に思われますが、事務所の騒音について「何デシベル以下にすること」という数値基準は法令上ありません。事務所衛生基準規則が定めているのは次の2条だけです(e-Gov法令検索・事務所衛生基準規則)。
- 第11条(騒音及び振動の防止):室内の労働者に有害な影響を及ぼすおそれのある騒音又は振動について、隔壁を設ける等その伝ぱを防止するため必要な措置を講ずるようにしなければならない
- 第12条(騒音伝ぱの防止):事務用機器で騒音を発するものを5台以上集中して同時に使用するときは、遮音及び吸音の機能をもつ天井及び壁で区画された専用の作業室を設けなければならない
いずれも「有害な影響を及ぼすおそれのある騒音」が対象で、集中しにくいレベルの雑談は想定されていません。参考までに、環境省の騒音に係る環境基準では住居系地域の昼間で55デシベル以下とされていますが、これは屋外の生活環境に関する基準であり、オフィス内の集中しやすさを測るものではありません。つまり「基準値を超えているから対策してほしい」という論法は使えず、個人側で手を打つほうが現実的というのが、この分野の実情です。
まとめ
オフィスの騒音で集中できないとき、装置の導入を待つ必要はありません。席と向き、物での遮蔽、耳栓、ノイズキャンセリング、環境音の5段階は、いずれも今日から0円で試せます。鍵になるのは「消す」と「紛れさせる」を使い分けることで、空調音は消し、話し声は紛れさせる、と覚えておけば選択を間違えません。まずは今いる席で、何の音に邪魔されているかを1日分メモするところから始めてみてください。
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よくある質問
サウンドマスキングと遮音は何が違いますか?
遮音は壁や耳栓で音が届く前に止めて音量を下げる方法、サウンドマスキングは意味を持たない音をあえて足して会話の内容を聞き取れなくする方法です。原理が逆なので、空調音のような低い音は遮音・ノイズキャンセリング側、隣席の話し声はマスキング側、と使い分けます。
ノイズキャンセリングイヤホンを買えば話し声は消えますか?
消えにくいです。ソニーの公式ヘルプガイドにも、ノイズキャンセリングは飛行機・電車・オフィス・エアコンなどの低周波数域の騒音に効果的である一方、人の話す声など高周波数域の騒音には効果が感じられない場合があると記載されています。話し声には環境音によるマスキングを併用してください。
お金をかけずにできる対策はありますか?
あります。①席と体の向きを変える、②本棚やディスプレイなど手持ちの物で耳の高さより上を遮る、③イヤホンを装着するだけで高い音を落とす、④ノイズキャンセリングで空調音を削る、⑤環境音を小さく流して話し声を紛れさせる、の5段階はすべて0円から始められます。
環境音はどのくらいの音量で流せばいいですか?
周囲の会話がかろうじて聞こえるが、内容までは追えない程度が目安です。上げすぎると環境音自体が気になり、下げすぎるとマスキングとして働きません。また歌詞のある音楽は音自体が意味を持つため、文章を書く作業では逆効果になりやすい点に注意してください。
オフィスの騒音に法律上の基準はありますか?
数値基準はありません。事務所衛生基準規則は第11条で有害なおそれのある騒音・振動の伝ぱ防止措置を、第12条で騒音を発する事務用機器を5台以上同時使用する場合の専用作業室の設置を定めているだけで、集中しやすさを測るデシベル基準は定められていません。