業務自動化の投資判断で決裁が通らない一番の理由は、金額の見積もりが高いからではありません。「で、いくら得になるの?」に自分の数字で答えられないからです。削減時間を人件費に換算する式さえ持っていれば、見積書を前にして黙る必要はなくなります。
結論から言うと、必要な式は3本だけです。①時間単価=年収÷年間所定労働時間×法定福利費の係数、②年間削減額=時間単価×(1回あたり作業時間×年間実施回数)×削減率、③回収期間(月)=初期費用÷(年間削減額÷12−月額運用費)。公的統計の実数を入れると、正社員の時間単価はおよそ3,550円になります。この記事ではその3,550円の作り方と、規模別3ケースの計算過程を全部開いて見せます。
結論:この3本の式で投資判断は自分で出せる
自動化の効果を金額にする作業は、難しい計算ではありません。やることは「削減した時間を、その時間を使っていた人のコストに置き換える」だけです。難しくしているのは、時間単価に何を入れるかが曖昧なまま話が進むことです。
実務では、時間単価を「月給÷160時間」とだけ置いた資料がよく出てきます。社会保険の事業主負担が抜けるので、効果を1割以上過小評価します。逆に「1人減る前提」で年収を丸ごと引く資料は過大評価です。正しいのは法定福利費まで乗せた時間単価×実際に減る時間です。
- 式① 時間単価 = 年収 ÷ 年間所定労働時間 × 法定福利費の係数
- 式② 年間削減額 = 時間単価 ×(1回あたり作業時間 × 年間実施回数)× 削減率
- 式③ 回収期間(月)= 初期費用 ÷(年間削減額 ÷ 12 − 月額運用費)
以下、①の各項目を公的統計から1つずつ埋めていきます。自分の会社の実数があるならそれを使ってください。ここで使う統計値は、社内に実数が無いときの代わりです。
時間単価を公的統計から積み上げる
年間所定労働時間は1,770時間(2025年度)
厚生労働省の毎月勤労統計調査 2025(令和7)年度分結果確報では、事業所規模5人以上・調査産業計・一般労働者の所定内労働時間は1か月あたり147.5時間です。12倍すると年間1,770時間になります。
分母を残業込みの総実労働時間160.7時間にすると、残業が多い会社ほど時間単価が安く見えて効果が小さく出ます。自動化で削るのは多くの場合「所定内に組み込まれた定型作業」なので、所定内で取るのが筋です。残業削減を前提にするなら、分母は所定内のまま「削った残業時間×割増賃金」を別途上乗せしてください。
年収は正社員545万円(令和6年分)
国税庁の令和6年分 民間給与実態統計調査によると、1年を通じて勤務した給与所得者の平均給与は478万円、うち正社員(正職員)は545万円です。賞与を含んだ金額なので、社会保険料の計算対象ともずれません。
どちらを使うかは、その作業を誰がやっているかで決めます。正社員が担当している定型業務なら545万円、パート・アルバイトを含む平均で見るなら478万円が目安です。自社の実額(担当者の年収)が分かるなら、当然そちらが正確です。
法定福利費の事業主負担は15.34%=1.153倍
「1.15倍くらい乗せる」という係数をよく見かけますが、内訳を示さないと決裁の場で突っ込まれます。公式の料率から積み上げると次のようになります。すべて令和8年度(2026年度)の値です。
項目 | 料率(全体) | うち事業主負担 | 根拠・適用時期 |
|---|---|---|---|
健康保険料率(協会けんぽ東京支部) | 9.85% | 4.925% | 令和8年3月分(4月納付分)から・労使折半 |
子ども・子育て支援金率 | 0.23% | 0.115% | 令和8年4月分(5月納付分)から・労使折半 |
厚生年金保険料率 | 18.3% | 9.15% | 2017年9月以降18.3%で固定・労使折半 |
雇用保険料率(一般の事業) | 1.35% | 0.85% | 令和8年度。うち雇用保険二事業0.35%は事業主のみ負担 |
労災保険率(その他の各種事業) | 0.3% | 0.3% | 令和8年度(令和7年度と同率)・全額事業主負担 |
事業主負担の合計 | — | 15.34% | 係数にすると1.1534倍 |
(参考)介護保険料率 | 1.62% | 0.81% | 40歳から64歳の被保険者のみ。加えると16.15%=1.1615倍 |
健康保険料率は都道府県支部ごとに違うので、自社の支部の率に差し替えてください。労災保険率も業種で大きく変わり、建設や製造では「その他の各種事業」の0.3%より高くなります。差し替えても係数は1.15前後に収まることが多く、この記事では1.1534倍(40歳未満・東京・その他の各種事業)を使います。
時間単価は約3,550円
式①に入れます。5,450,000円 × 1.1534 ÷ 1,770時間 = 約3,550円/時。平均給与478万円で計算すると約3,110円/時になります。
この時間単価には、採用コスト・教育コスト・交通費・PCやライセンス費といった間接費は入っていません。入れれば金額は増えますが、配賦の根拠を説明する手間が増えて決裁の論点がぼやけます。間接費を足さないほうが「控えめに見てもこれだけ出る」という形になり、通りやすいのが実務上の感覚です。
年間削減額の式と、削減率を100%にしない理由
式②の削減率が、この試算でいちばん嘘が入りやすいところです。「自動化すればこの作業はゼロになります」という前提で作られた資料は、ほぼ必ず実測で外れます。
残るものが具体的にあります。まず例外処理です。取引先ごとのフォーマット違い、イレギュラーな値引き、月初だけ発生する処理。これらを全部自動化すると開発費が跳ね上がるので、現実には「例外は手で」が残ります。次に目視確認。自動で出た数字をそのまま請求書にする度胸のある経理はいません。最後に移行期の二重運用で、新旧を突き合わせる期間は一時的に作業が増えます。
2026年版中小企業白書の概要には、ITツール活用について「想定した効果が得られなかった」と答えた事業者が、部門間連携できていない層で34.8%、できている層で7.6%というデータがあります。同じ投資でも、受け渡しの設計ができていないと4倍以上の確率で期待を外すという話です。削減率を楽観で置く余地はありません。
- 削減率50%……例外が多い業務、判断を挟む業務、取引先依存のフォーマットが複数ある業務
- 削減率65%……定型だが最後に人の確認が入る業務(請求・給与・在庫の締め)
- 削減率80%……入力と転記が作業の大半で、例外がほぼ無い業務
決裁資料には削減率50%の数字と65%の数字を両方載せるのがおすすめです。悲観ケースでも回収できるなら、議論は「やるか」ではなく「いつやるか」に移ります。入力そのものを消すタイプの改善は、削減率を高めに置けます。
規模別3ケースの計算過程を全部見せる
自分がどのケースに近いかを選んで、①と③と⑧を自社の数字に差し替えてください。時間単価は上で出した3,550円で固定しています。
計算項目 | ケースA 担当1名・月8時間 | ケースB 3名・月40時間 | ケースC 10名・月150時間 |
|---|---|---|---|
① 1か月の作業時間 | 8時間 | 40時間 | 150時間 |
② 年間作業時間(①×12) | 96時間 | 480時間 | 1,800時間 |
③ 削減率(想定) | 60% | 65% | 70% |
④ 年間削減時間(②×③) | 57.6時間 | 312時間 | 1,260時間 |
⑤ 時間単価 | 3,550円 | 3,550円 | 3,550円 |
⑥ 年間削減額(④×⑤) | 204,480円 | 1,107,600円 | 4,473,000円 |
⑦ 月あたり削減額(⑥÷12) | 17,040円 | 92,300円 | 372,750円 |
⑧ 月額運用費(想定) | 2,000円 | 5,000円 | 15,000円 |
⑨ 月あたり純削減(⑦−⑧) | 15,040円 | 87,300円 | 357,750円 |
⑩ 目標回収月数 | 24か月 | 18か月 | 12か月 |
⑪ 許容できる初期費用の上限(⑨×⑩) | 約36万円 | 約157万円 | 約429万円 |
⑪が、この記事でいちばん持ち帰ってほしい数字です。相場を調べる必要はありません。自分の業務量から「ここまでなら出していい」という上限が先に決まるので、あとは見積額がその線の内側か外側かを見るだけになります。ケースAで80万円の見積が出てきたら、それは相場の問題ではなく、その業務に対して重すぎるという判断になります。
目標回収月数(⑩)は会社の方針です。ソフトウェアの資産計上年数に合わせて60か月とする会社もありますが、仕様変更の速さを考えると12〜24か月で引くのが安全側です。業務が変わらない確信が持てないなら短く取ってください。
この試算で「やる価値はある」と出たときも、最初から大きく作る必要はありません。いまのスプレッドシートを捨てずに、入力の画面と集計の仕組みだけを分けるやり方もあります。考え方はこちらにまとめています。
回収期間の出し方と、見積を受け取ったあとの確認
見積が手元にあるなら、式③で回収期間が直接出ます。ケースBで初期費用150万円・月額5,000円だった場合、1,500,000円 ÷ 87,300円 = 約17.2か月。目標の18か月の内側なので、数字の上では成立します。
ここで分母が0や負の数になったら、計算ミスではなく判断の答えです。月額運用費が月あたり削減額を超えている案件は、永久に回収できません。ケースAで月額2万円のツールを入れると、月あたり削減額17,040円を運用費が食い切るので、回収期間は計算できなくなります。この種の取り違えは、年額表示と月額表示が混ざった見積でよく起きます。
見積を比較するときは、金額の大小より先に初期費用と月額運用費がきちんと分かれているかを見てください。保守費や修正対応の扱いが曖昧な見積は、式③の分母が後から動くということです。費用の内訳そのものの読み方は脱エクセルの費用相場と業務システム化の判断軸が参考になります。既存の表を担当者ごと外に出す形を検討しているなら、Excel属人化の引き継ぎを外注する場合の試算式も同じ型で組んであります。
律速は実装ではなく「業務サイクル1周の並行運用」
金額の次に聞かれるのが期間です。ここで「開発2か月」と答えると、ほぼ必ずずれます。自動化の期間を決めているのは実装ではなく、業務サイクルを1周させる並行運用のほうです。
月次の締め処理を自動化するなら、新しい仕組みと今までの手作業を同じ月に両方回して、結果が一致するかを確かめる必要があります。この突き合わせは1か月分のデータが出そろうまで始められません。四半期の処理なら3か月、年次の処理なら1年です。人を増やしても、月が経つのを早くすることはできません。
この性質から、現実的な期間はこう組み立てます。要件の整理と実装(ここは人数で短縮できる)+業務サイクル1周の並行運用(短縮できない)+ずれの修正と2周目の確認。月次業務なら、実装が最速で終わっても最低2か月は空けておくのが安全です。期間の見立て方はExcel管理の限界とシステム化にかかる期間の規模別目安で詳しく分けています。
決裁資料には、この並行運用の期間を「効果が出ない期間」として正直に書いてください。初月から満額の効果が出る前提の資料は、3か月後に信用を失います。式②の年間削減額を初年度に適用するなら、並行運用の月数ぶんは差し引いて出すのが誠実です。
やらない方がいいケースを先に潰す
試算すると「やらない」が答えになる業務があります。これを先に外しておくと、残った業務の説明が通りやすくなります。
- 年間実施回数が少ない業務……年2回しかない処理は、1回3時間かかっても年6時間・削減額2万円弱です。式②の分子が小さいので、どんなに安く作っても回収できません。
- 業務自体が来期なくなる可能性がある業務……制度変更や取引先の都合で消える処理に投資すると、回収期間の途中で分子がゼロになります。
- 仕様が毎月変わる業務……修正費が月額運用費として積み上がり、式③の分母を食い潰します。ルールが固まるまで手作業のままが安いことは珍しくありません。
- やめられる業務……誰も見ていない集計表の自動化は、最も高くつく無駄です。自動化の前に「この作業を止めたら誰が困るか」を1回確認してください。
- 担当者1人しか仕様を知らない業務……現状の処理内容が文書になっていないと、要件定義の段階で止まります。自動化よりも先に手順を書き出す工程が必要です。
逆に、回数が多く・ルールが安定していて・複数人が同じ作業をしている業務は、式②の分子が大きくなるので優先度が上がります。スプレッドシート管理の限界をアプリ化で越える第3の選択肢のように、いまの運用を残したまま段階的に進める手も取れます。
決裁資料に載せる3行
ここまでの計算を、決裁の場で読まれる形に畳みます。必要なのは3行です。
- いま年間○○時間・○○円かかっている(式②の削減前。時間単価の根拠を脚注で1行)
- 削減率50%でも年間○○円、65%なら年間○○円が残る(悲観と標準の2本立て)
- 初期費用○○円なら○○か月で回収、許容上限は○○円(式③と⑪)
この3行があると、議論は「自動化は必要か」という感覚の話から、「削減率の置き方は妥当か」という検証できる話に移ります。差し戻されるとしたら削減率か回収月数の見立てへの具体的な指摘なので、直せば通ります。
どの業務から手を付けるか迷ったら、式②の「1回あたり作業時間×年間実施回数」が大きい順に並べるだけで優先順位は出ます。効果は作業の面倒さではなく頻度で決まります。手段の向き不向きは、優先順位を決めた後から詰めて間に合います。
自社の業務でこの式を埋めてみて、数字の置き方が妥当か迷ったときは、試算の前提だけでも相談してください。削減率と回収月数をどう置くかは、業務の性質を聞かないと答えが出ない部分です。
よくある質問
業務自動化の効果を出すときの時間単価は、月給÷160時間で計算してよいですか?
社会保険の事業主負担が抜けるので、効果を1割以上過小評価します。令和8年度の公式料率から積み上げると、健康保険4.925%・子ども・子育て支援金0.115%・厚生年金9.15%・雇用保険0.85%・労災0.3%で事業主負担は15.34%、係数で1.1534倍です。分母は毎月勤労統計調査2025年度確報の所定内労働時間147.5時間×12=年間1,770時間を使い、正社員の平均年収545万円(国税庁 令和6年分 民間給与実態統計調査)を入れると約3,550円/時になります。
削減率は何%で置くのが妥当ですか?100%にしてはいけませんか?
100%にはしないでください。例外処理・目視確認・移行期の二重運用が必ず残ります。目安は、例外や判断が多い業務で50%、定型だが最後に人の確認が入る業務で65%、入力と転記が大半で例外がほぼ無い業務で80%です。決裁資料には50%と65%の2本を並べ、悲観ケースでも回収できることを示すと議論が前に進みます。
相場を調べなくても、いくらまでなら出していいかが分かりますか?
分かります。月あたり純削減額(年間削減額÷12−月額運用費)×目標回収月数が、許容できる初期費用の上限です。たとえば担当1名・月8時間の作業を削減率60%で自動化する場合、年間削減額は約20.4万円、月あたり純削減は約1.5万円で、24か月回収なら上限は約36万円になります。見積額がこの線の内側かどうかだけを見れば判断できます。
自動化にかかる期間は、人を増やせば短くなりますか?
短くなりません。期間を決めているのは実装ではなく、業務サイクルを1周させる並行運用です。月次の締め処理なら、新しい仕組みと手作業を同じ月に両方回して結果の一致を確かめる必要があり、1か月分のデータがそろうまで始められません。四半期処理なら3か月、年次処理なら1年かかります。月次業務なら実装が最速で終わっても最低2か月は空けてください。
試算したうえで、やらない方がいい業務はありますか?
あります。年間実施回数が少ない業務(年2回で1回3時間なら削減額は2万円弱)、制度変更や取引先都合で来期なくなる可能性がある業務、仕様が毎月変わる業務(修正費が月額運用費として積み上がる)、そして誰も見ていない集計表のようにやめられる業務です。自動化の前に「この作業を止めたら誰が困るか」を1回確認すると、投資の判断が早くなります。